歴史的価値・2代将軍徳川秀忠公(台徳院)より藤堂高虎公下賜された 宝刀【五郎入道正宗・本阿弥平十郎添書】

登録証
都道府県 三重県
発行年度 昭和30年 
種別
長さ 2尺3寸8分0厘
反り 5分5厘
目釘穴 1個
銘文 表:五郎入道正宗
裏:
備考
現在価格 1500000 円
入札総数 0
現在の権利者 -
残り時間 残り1日 (詳細な残り時間
終了予定時刻 2017-11-21 20:50:00.0
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即決価格 -
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本刀は大阪冬の陣、大阪夏の陣にて戦功があった藤堂高虎公が、二代将軍徳川秀忠公(台徳院)様より下賜された五郎入道正宗です。まさに歴史的価値ある夢の宝刀です。本阿弥光意系15代当主本阿弥平十郎の鞘書き、及び藤堂家添書が認められています。添書には、【慶長20年5月大阪役にて台徳院様より高虎公賜る。伊勢国津藩藤堂家重代の秘宝と伝也)とありまさに夢のような歴史を感じる宝刀です。正宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国鎌倉で活動した刀工で五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道とも称され、日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人です。正宗の現存健全刀には製作年を明記したものは皆無だが、大坂落城の際に焼け、後に再刃された「嘉暦三年八月 相州住正宗」銘の短刀(名物大坂長銘正宗)が現存する。また、「相模国鎌倉住人正宗 正和三年十一月日」という銘のある短刀(名物江戸長銘正宗)がかつて存在したことが『享保名物帳』などの記録に残っている 。現存作刀の時代観からも、正宗の活動時期を鎌倉時代末期から南北朝時代(13世紀末から14世紀初)と見ることは研究者の間で異論がないが、彼の正確な生没年は不明である。過去帳には正応 五郎入道正宗 戌子年(1288年)正月十一日法名心龍日顕壽八十才の記録がある)。また、史実とは見なされていないが、『古刀銘尽大全』には文永元年(1264年)-康永2年(1343年)と記されている。本刀は長さ2尺3寸8分にして十分、身幅も広く地鉄は良く練れて地一面に沸映りが余すところなく表れています。地刃ともに健全、沸出来であり、このお刀を一層迫力あるものにしています。帽子は鎌倉初中期が猪首になるに比して、鎌倉時代末期特有のやや伸びる帽子です。刃は低く湾れ沸が溢れています。茎もややたなご腹となる典型的な相州茎、幾星霜を経て味わい深い朽ち込が得も言われぬ味わいとなっております。研ぎ上がり状態ではなく古研ですが、裸眼では庇、擦れ、錆などは見当たりません。鑑賞、家宝とするには問題ありません。尚信頼のおける研磨をすれば見違えるような素晴らしい重宝刀となるでしょう。古美術品の為個人の感覚に相違がありますので写真をよく見て頂きますようお願いします。質問は仕事の関係ですぐにお答えできない場合がありますので、私のアドレス若しくは携帯までお願いします。わかる範囲で誠意をもってお答えいたします。 bkdat805@rinku.zaq.ne.jp 090-5884-0695 以上よろしくお願いします。是非家宝として受け継いで頂きたい重宝刀となっています。 落札後、銃砲刀剣類所持等取締法第14条にもとづき都道府県の教育委員会に所有者変更の届出を行ってください。(詳細)(登録)三重県教育委員会第9864号・昭和30年8月27日 (種別)刀 (長さ)2尺3寸8分0厘(反り)5分5厘(目釘穴)1個(銘文)表・五郎入道正宗 (元幅)約3.1cm(先幅)約2.2cm(元重)約6.5mm(重量)約806g   【藤堂高虎】・・・・・・・・・・・・・藤堂 高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。慶長19年からの大坂冬の陣では徳川方として参加する。翌年の大坂夏の陣でも徳川方として参戦し、自ら河内方面の先鋒を志願して、八尾において豊臣方の長宗我部盛親隊と戦う(八尾の戦い)。この戦いでは長宗我部軍の猛攻にあって、一族の藤堂良勝や藤堂高刑をはじめ、600人余りの死傷者を出している。戦後、その功績により伊賀国内と伊勢鈴鹿郡・安芸郡・三重郡・一志郡内で5万石を加増され計27万石になり、同年閏6月には従四位下に昇任した。しかし、この戦いで独断専行を行った家臣の渡辺了と衝突、決別している。家康死去の際には枕元に侍ることを許され、家康没後は第2代将軍徳川秀忠に仕えた。元和3年(1617年)新たに伊勢度会郡田丸城5万石が加増され、弟正高が下総国で拝領していた3000石を津藩領に編入し、これで津藩の石高は計32万3000石となった。元和9年(1623年)ころから眼病を患っており、寛永7年(1630年)についに失明してしまった。同年10月5日に江戸の藤堂藩邸にて死去。享年75。  【本阿弥平十郎】・・・・・・・・本阿弥平十郎(成重)は本阿弥光意系第15代当主。元の名を江口倉次郎といい、直之丞成応の養子に入る。現代研磨法の先駆者として知られる稀代の名人。鉄肌(かなはだ=酸化鉄の微粉末)を拭いに用いて地鉄を黒くし、後刃取りを行う研磨法を開発した。しかしながらその研磨の極意は、下地研ぎの巧拙が見栄えに及ぼす影響までも考慮したところにあったという。現代研磨においてごく当然に重視されている下地研ぎと刃取りは、まさにここが原点である。明治15年、55歳で没する。



【商品説明追記】
追加説明させて頂きます。先巾は3、2㎝、先重は0、7㎝、先巾は1、9㎝、先重は0、7㎝です。訂正させて頂きます。

追加説明させて頂きます。誠に申し訳ありませんが再度訂正させて頂きます。先巾は1、9㎝と記載しましたが2,3㎝です。申し訳ありません。どうぞよろしくお願いします。