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☆ 正真 日本刀剣保存会 鑑定書付き 「伝 奥州白河 固山宗俊」 二尺二寸三分 掻き通した樋の入る美しい一振りです。
都道府県 | 秋田県 |
---|---|
発行年度 | 平成25年 |
種別 | 刀 |
長さ | 67.8cm |
反り | 1.2cm |
目釘穴 | 1個 |
銘文 | 表:無銘 |
裏: | |
備考 |
現在価格 | : | - |
---|---|---|
入札総数 | : | - |
現在の権利者 | : | - |
残り時間 | : | 入札終了 (詳細な残り時間) |
終了予定時刻 | : | 2014-03-17 21:00:00.0 |
開始価格 | : | - |
即決価格 | : | - |
(この金額で落札できます) | ||
落札下限価格 | : | - |
自動延長 | : | 設定あり |
- オークションID:WA00027538
- 出品者情報(ayuayu06210209)
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150年程昔の江戸時代後期 奥州白河の著名刀工「固山宗俊」が鍛えた一振りです。
「固山宗俊」は、名著「刀剣要覧」で新々刀・中上作に位列されております。
研ぎ済みですので、特に手を掛ける必要無く鑑賞して頂けます。
御刀は二尺二寸三分の刀身に、茎尻まで掻き通された樋が特徴の美しい姿をしております。
ぜひ落札して頂き、鑑賞はもちろん、居合などに使用されてはいかがでしょうか。
樋を彫った日本刀は振ると音がするので、居合の稽古の時には刃筋の狂いを確かめやすいそうです。
音が鳴る刀は夜討ちには不向きであるとして、古流剣術流派では注意を促す教えもあるそうですが、
現代居合においては音による刃筋確認が容易であるので、多くの居合剣士が使用しているそうです。
銃砲刀剣類登録証あります。
日本刀剣保存会・鑑定書をお付けいたします。(平成26年1月審査合格)
付属:白鞘(申し訳けございませんが、刀袋は付属しておりません。)
【登録書の内容】
平成25年 秋田県教育委員会登録
種別:刀 長さ:67.8cm 反り:1.2cm 目釘穴:1個 銘文:無銘
【サイズ】
長さ:67.8㎝ 反り:1.2㎝
元幅:3.0cm 元重:0.6cm 先幅:2.0㎝ 先重:0.4㎝ 刀身重量:685g(表記約)
【鑑定】
刀剣の専門家が極めた、著名刀工の正真作との鑑定です。
鑑定寸評
伝 奥州 白河 固山宗俊 二尺二寸四分有之
銘文 生ぶ無銘
鍜 小板目
刃紋 匂い口の締まった細めの小互の目乱れ
鋩子 直ぐに小丸
彫刻 表裏 棒樋 中心先へ掻き通し
中心 目釘穴一個 鑢 筋違い
備考 文久頃
※ 文久年間 1861年~1863年 天皇は孝明天皇 江戸幕府将軍 徳川家茂
文久2年8月21日(1862年9月14日)には有名な「生麦事件」が起きており、幕末の動乱期に
奥州・白河の地で来たる大戦に備えて鍛刀された一振りではないかと愚考致します。
【作者について】
固山宗俊
奥州白河の刀鍛冶。
名を伊三郎、白龍子と号す。
固山宗次とは同姓で、従来は宗次の兄とされていたが実は同族で宗次の門人。
師の作刀にも協力して、宗次の作刀技術を会得したものと思われる。
地刃の作風・茎の仕立ては宗次のそれと極めてよく似ている。
嘉永七年(1854)~慶応年間(1865-1868)に活躍。
新々刀 中上作
固山宗次
奥州白河の刀鍛冶。
名を宗兵衛(惣兵衛)、精良斎・一専斎とも号す。
初め白河松平家の抱え工、後に出府して加藤綱英に入門、長運斎綱俊に学ぶ。
その後に伊勢・桑名藩の抱え工となる。
弘化二年(1845)に備前介を受領。
明治五年(1872)頃まで生存。
一文字や長舩物に範をとった備前伝を得意としたほか、兼元・兼定を思わせる美濃伝も得意とした。
当時からたいへん人気が高く、新々刀随一の名手と言われている。
新々刀 上々作
●日本刀剣保存会の審査で合格しており、致命的な刃切れ、目立つ刃毀れはありません。
●落札手数料の2.625%(消費税を含む)は、恐縮ですが落札者様でご負担をお願いします。
●入札が少なく希望価格と隔たりがある場合はやむなく取下げさせて頂く事がございます。
●落札後はキャンセル・返品はお受けできませんので、写真を良くご覧いただきまして
慎重なるご入札をお願いします。
●落札後は銃砲刀剣類所持等取締法にもとづき、二週間以内に都道府県の教育委員会に所有者
変更の届け出が必要です。必要な書類は同梱致します。
写真がうまく表示されない場合は、恐れ入りますが以下を参照ください。
=> http://sky.geocities.jp/ayuayu06210209/
「固山宗俊」は、名著「刀剣要覧」で新々刀・中上作に位列されております。
研ぎ済みですので、特に手を掛ける必要無く鑑賞して頂けます。
御刀は二尺二寸三分の刀身に、茎尻まで掻き通された樋が特徴の美しい姿をしております。
ぜひ落札して頂き、鑑賞はもちろん、居合などに使用されてはいかがでしょうか。
樋を彫った日本刀は振ると音がするので、居合の稽古の時には刃筋の狂いを確かめやすいそうです。
音が鳴る刀は夜討ちには不向きであるとして、古流剣術流派では注意を促す教えもあるそうですが、
現代居合においては音による刃筋確認が容易であるので、多くの居合剣士が使用しているそうです。
銃砲刀剣類登録証あります。
日本刀剣保存会・鑑定書をお付けいたします。(平成26年1月審査合格)
付属:白鞘(申し訳けございませんが、刀袋は付属しておりません。)
【登録書の内容】
平成25年 秋田県教育委員会登録
種別:刀 長さ:67.8cm 反り:1.2cm 目釘穴:1個 銘文:無銘
【サイズ】
長さ:67.8㎝ 反り:1.2㎝
元幅:3.0cm 元重:0.6cm 先幅:2.0㎝ 先重:0.4㎝ 刀身重量:685g(表記約)
【鑑定】
刀剣の専門家が極めた、著名刀工の正真作との鑑定です。
鑑定寸評
伝 奥州 白河 固山宗俊 二尺二寸四分有之
銘文 生ぶ無銘
鍜 小板目
刃紋 匂い口の締まった細めの小互の目乱れ
鋩子 直ぐに小丸
彫刻 表裏 棒樋 中心先へ掻き通し
中心 目釘穴一個 鑢 筋違い
備考 文久頃
※ 文久年間 1861年~1863年 天皇は孝明天皇 江戸幕府将軍 徳川家茂
文久2年8月21日(1862年9月14日)には有名な「生麦事件」が起きており、幕末の動乱期に
奥州・白河の地で来たる大戦に備えて鍛刀された一振りではないかと愚考致します。
【作者について】
固山宗俊
奥州白河の刀鍛冶。
名を伊三郎、白龍子と号す。
固山宗次とは同姓で、従来は宗次の兄とされていたが実は同族で宗次の門人。
師の作刀にも協力して、宗次の作刀技術を会得したものと思われる。
地刃の作風・茎の仕立ては宗次のそれと極めてよく似ている。
嘉永七年(1854)~慶応年間(1865-1868)に活躍。
新々刀 中上作
固山宗次
奥州白河の刀鍛冶。
名を宗兵衛(惣兵衛)、精良斎・一専斎とも号す。
初め白河松平家の抱え工、後に出府して加藤綱英に入門、長運斎綱俊に学ぶ。
その後に伊勢・桑名藩の抱え工となる。
弘化二年(1845)に備前介を受領。
明治五年(1872)頃まで生存。
一文字や長舩物に範をとった備前伝を得意としたほか、兼元・兼定を思わせる美濃伝も得意とした。
当時からたいへん人気が高く、新々刀随一の名手と言われている。
新々刀 上々作
●日本刀剣保存会の審査で合格しており、致命的な刃切れ、目立つ刃毀れはありません。
●落札手数料の2.625%(消費税を含む)は、恐縮ですが落札者様でご負担をお願いします。
●入札が少なく希望価格と隔たりがある場合はやむなく取下げさせて頂く事がございます。
●落札後はキャンセル・返品はお受けできませんので、写真を良くご覧いただきまして
慎重なるご入札をお願いします。
●落札後は銃砲刀剣類所持等取締法にもとづき、二週間以内に都道府県の教育委員会に所有者
変更の届け出が必要です。必要な書類は同梱致します。
写真がうまく表示されない場合は、恐れ入りますが以下を参照ください。
=> http://sky.geocities.jp/ayuayu06210209/