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文化財級文部省発行重要美術品 (初代信国)公爵徳川家正所有
都道府県 | 大阪府 |
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発行年度 | 昭和37年 |
種別 | わきざし |
長さ | 32,4cm |
反り | 0,3cm |
目釘穴 | 1個 |
銘文 | 表:信國 |
裏:建武二年☐月日 | |
備考 |
現在価格 | : | - |
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入札総数 | : | - |
現在の権利者 | : | - |
残り時間 | : | 入札終了 (詳細な残り時間) |
終了予定時刻 | : | 2015-08-13 20:51:00.0 |
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文部省に問い合わせをいたしました。間違いなく控えが存在し、官報に掲載されているとの回答を頂きました。『昭和十四年 二月二十二日 公爵 徳川家正』『信國 建武二年月日』、発行年度、名前、銘も合致しています。文部省発行の重要美術品指定の短刀信国です。是非家宝にして末永く引き継いで下さい。登録書も確認済みで問題はありません。。【初代信國】は、了戒久信の子、または孫と云われ、相州貞宗の門人、建武~延文頃に活躍したと伝えられています。その後、二、三、四代と続き、繁栄しました。その後、山城信國派は潰えてしまいますが、その脈は豊前、筑前などで受け継がれ、それぞれ代の継承が見られます。重要美術品証書は上記の通り証書の内容は確認を取っております。※証書記載の文面ですが、『發宗五十三号 昭和十四年二月二十二日公爵 徳川家正貴殿所有ノ左ノ物件 本日昭和八年法律第四十三号重要美術品等ノ保存ニ関スル件 第二条ノ規定ニ依リ認定セラレタリ 右通知ス.』『短刀 銘 信國 建武ニ年月日 一口』とあります。文の最初の、『貴殿所有ノ左ノ物件』の貴殿とは名前が記載されいる通り、公爵 徳川家正を指し、【徳川家正】は 徳川宗家十七代当主であります。天璋院篤姫に養育された、十六代徳川家逹の長男。貴族院議員、議長を務め、爵位は公爵。本作は、菖蒲造り、寸伸びて身幅広く重ねの薄い、南北朝時代の寸伸び短刀で、小板目肌詰み、地鉄澄んで美しく、表には素剣、裏には大小丸止めの樋が二本彫られいずれも茎尻まで掻き通されています。刃紋は互の目、小乱れ刃を焼いており、刃縁には小沸つき、砂流し、金線盛んにかかり地刃共に健全であります。刃中に若干 極めて薄い錆がついた箇所がございますが、すぐに除去できるもので、現状で研ぎは必要ないかと思います。変に研磨をしますとこれだけの刀ですので研ぎべりになるかもしれません。あくまで現状のままでよいと思います。文部省重要美術品として証書を賜わり、当時の所有者も、徳川宗家十七代 徳川家正と、稀に見る産まれの良さであります。是非代々の家宝として保存下さい。
(拵え)・・・・・・・・【縁頭) (縁):鉄地金象嵌 (鍔):銅地岩石栗形 (返角):鉄地金象嵌(小尻):鉄地金象嵌 桐の図(小柄):鉄地金銀象嵌 月に松の図 (鞘):赤茶石目地塗鞘拵えは、趣があり風情漂う上品な拵えで、日刀保の保存、特別保存も狙える名品です。金具類は鉄地金象嵌一作ですが、縁頭、縁、栗形、返角は時代の経過により象嵌が薄れております。小尻の保存状態は良く大振りの桐の図があしらわれ、柄巻きも上品。鞘の塗りも綺麗であり、状態の良いものです。刀と共に伝わったものであり、共に末くご愛蔵頂ける逸是是非家宝にお加え下さい。【詳細】※寸法元幅3.0cm 元重0.45cm 先重0.35cm刀身重量309g 古美術品の為個人の感覚に相違がありますので写真をよく見て頂きますようお願いします。従いましてキャンセルはご遠慮ください。 【公爵 徳川家正】・・・・・・・・・1884年3月23日、徳川家達の長男として東京府南豊島郡千駄ヶ谷村で生まれる。1909年 東京帝国大学法科大学政治科を卒業、同年外務省に入省し外交官補となる。1925年シドニー総領事、1929年カナダ公使、1934年 トルコ大使となる。1937年に外務省を退官。1940年父・家達の薨去に伴い、公爵を襲爵し、貴族院議員となる。1946年に最後の貴族院議長に就任する(最後の貴族院副議長は一橋徳川家の徳川宗敬)。1963年2月18日午後6時、心臓病のため東京都渋谷区大山町1064番地の自宅で死去[2]。78歳没。正二位に叙せられ、勲一等旭日大綬章を受章する。長男・家英は早世していたため、断絶を恐れた家正は長女豊子と会津松平家の松平一郎夫妻の次男恒孝(家正の外孫、恒孝から見れば家正は母方の祖父にあたる)を養子とした。なお、恒孝の父方の祖父である松平恒雄は第1回参議院議員通常選挙に当選し第1回国会の議長選挙で初代の参議院議長に選出されている。
(拵え)・・・・・・・・【縁頭) (縁):鉄地金象嵌 (鍔):銅地岩石栗形 (返角):鉄地金象嵌(小尻):鉄地金象嵌 桐の図(小柄):鉄地金銀象嵌 月に松の図 (鞘):赤茶石目地塗鞘拵えは、趣があり風情漂う上品な拵えで、日刀保の保存、特別保存も狙える名品です。金具類は鉄地金象嵌一作ですが、縁頭、縁、栗形、返角は時代の経過により象嵌が薄れております。小尻の保存状態は良く大振りの桐の図があしらわれ、柄巻きも上品。鞘の塗りも綺麗であり、状態の良いものです。刀と共に伝わったものであり、共に末くご愛蔵頂ける逸是是非家宝にお加え下さい。【詳細】※寸法元幅3.0cm 元重0.45cm 先重0.35cm刀身重量309g 古美術品の為個人の感覚に相違がありますので写真をよく見て頂きますようお願いします。従いましてキャンセルはご遠慮ください。 【公爵 徳川家正】・・・・・・・・・1884年3月23日、徳川家達の長男として東京府南豊島郡千駄ヶ谷村で生まれる。1909年 東京帝国大学法科大学政治科を卒業、同年外務省に入省し外交官補となる。1925年シドニー総領事、1929年カナダ公使、1934年 トルコ大使となる。1937年に外務省を退官。1940年父・家達の薨去に伴い、公爵を襲爵し、貴族院議員となる。1946年に最後の貴族院議長に就任する(最後の貴族院副議長は一橋徳川家の徳川宗敬)。1963年2月18日午後6時、心臓病のため東京都渋谷区大山町1064番地の自宅で死去[2]。78歳没。正二位に叙せられ、勲一等旭日大綬章を受章する。長男・家英は早世していたため、断絶を恐れた家正は長女豊子と会津松平家の松平一郎夫妻の次男恒孝(家正の外孫、恒孝から見れば家正は母方の祖父にあたる)を養子とした。なお、恒孝の父方の祖父である松平恒雄は第1回参議院議員通常選挙に当選し第1回国会の議長選挙で初代の参議院議長に選出されている。