このオークションの商品は落札されました。

古刀最上作 千子村正の在銘作「村正」長さ2尺3寸  ☆ 認定書付 鞘書有

現在価格 -
入札総数 -
現在の権利者 -
残り時間 入札終了 (詳細な残り時間
終了予定時刻 2012-11-26 21:20:00.0
開始価格 -
即決価格 -
(この金額で落札できます)
落札下限価格 -
自動延長 設定あり
出品者からのお知らせ
出品物の状態は画像からご判断ください。
現状での販売となりますので、
落札後はノークレーム・ノーリターンで
お願い致します。


千子村正は、刀剣に興味のない方でもその名を聞いた事があるほど、妖刀として広く知られ、巷間においても正宗や虎徹と並んで有名です。
村正は、江戸期には徳川家に祟る刀といわれ、徳川将軍家の公式記録である「徳川実紀」によると、家康の祖父松平清康が天文四年(1535年)に家臣に村正の刀で斬られた事に始まり、父広忠は乱心した家臣に村正の脇指で刺され、信長から内通の嫌疑をかけられ、切腹に追い込まれた家康の長男信康を介錯した刀も村正でした。また、家康自身も信長の甥長孝の戦功報告を受けた際に、村正の槍を検分中に手に怪我を負うなど、徳川家に関わる凶事がいくつも重なった為に、村正は徳川家に祟る妖刀として歌舞伎や浪曲などの演目で扱われ、妖刀村正として一般に広く認知されたと思われます。
初代村正は、古書によれば美濃赤坂兼村の門或いは関兼春の門で、美濃から伊勢国桑名の地に移住したと伝わっています。その後、室町末期まで三代にわたって代の継承がみられます。
この刀は、村正在銘の刀で、長さは二尺三寸ほどで、身幅もあり、茎は一寸程磨り上げられていますが、村正特有のたなご腹といわれる茎を呈しています。地鉄は、板目に杢目を交え、地沸つき、地景入る。刃文は、中直刃を小沸で焼き、匂口締まる。重ねも厚く、健全で出来が良い村正の典型作です。

長さ 69.5cm  反り 0.8cm
元幅 29.2mm  元重 6.9mm
先幅 19.7mm  先重 4.5mm

☆希望価格に達しないときは出品を取り下げさせて頂くことがあります。