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☆本間順治(薫山)先生寄贈 五島奈良男関(元大関)紫檀鞘 伝 後藤祐乗 笄直大小柄 扇桐紋蝦夷目貫他優品金具付合口傑作拵☆

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出品者からのお知らせ
  特別重要刀剣合格「倫光」
伝兼光折紙付未鑑定品のご紹介
→保存特保同時合格「倫光」
→昨年重要合格→本年特重一回で合格です
  おめでとうございます。

ご依頼品は選別せず全て出品致しますので
是非初心名品を御落札下さい。


  • オークションID:WA00020172
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  • 出品者情報
    販売事業者 fuji5005 藤井
    住所 787-0332
    高知県 土佐清水市汐見町    
    代表者名 22-10 ・
    通信販売業務責任者 藤井 幸美
    電話番号 0880-82-3023
    Eメールアドレス f-5000@cd.wakwak.com
御写真と状態説明は後程掲載いたします。宜しくお願い致します。


※申し訳御座いません落札手数料2.5%と送料のご負担をお願い致します(消費税請求無)
※私共出品の御品には全て刀袋が付属しています。刀剣所持者変更はがき同封致します※
※登録証は各都道府県で、鑑定書付きの場合は日刀保で出品前に照合確認済みです御安心下さい。
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~御知らせ~
○こちらのコーナーでは
刀剣類の換金目的委託代理出品を御手伝いさせて頂いております。
≪信頼と実績≫の当方に どうぞ御気軽にご相談下さいませ。≪誠心誠意で賜わります≫
委託販売・研磨諸工作等について詳しくは御電話かこちらまで御連絡の程宜しく御願い致します。
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!注意事項!
●評価御入札が少ない場合や即決完売となった時 已む無く取下げさせて頂く事がありますので、
ご理解の上御早目の御入札を頂きます様お願い致します。
●当方の(出品時の不備、破損等)責任となる場合は修繕や返品対応を致します。
●御落札後の勝手な(入札ミス他)お申出は双方に迷惑となりますので御注意下さい。
●当方では優品名品美術品を多く扱いさせて頂いております。その他未鑑定現状品、居合・抜刀用、
研磨練習用、研究参考用等々 其々のニーズに対応出来る御品を同時に出品致しておりますので
お写真を良く御覧頂き、詳しい御方は御自身の御判断で、初心者様には当方所見状態説明を御参考に
して頂きまして 十分御検討の上、ご自身の御納得の責任ある御入札と御取引をお願い致します。

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※当方出品のオリジナル写真、説明文は無断転載.使用禁止となっています※
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【商品説明追記】
※御刀詳細※
本間薫山先生が角界随一の愛刀家であった 元大関 五ツ嶋奈良男関に贈られた指料であり、
中身は片切刃の貞宗刀が収められていた傑出時代拵となっています。
鞘は紫檀製で小柄は黒檀に象牙 後藤祐乗の傑作と伝わる牡丹獅子文笄が
本作大小柄に転用されたものとされています。
赤銅槌目金具の縁頭の中央には 地蔵菩薩立像が見事に彫刻された格調の高さであり、
縁と鯉口 小柄留 小尻は茶道具金具が本金象嵌となる色合いの美しい手置きの良いもので
目貫は扇子に桐文の江戸目貫となっており、栗形は実に色艶の良い極めて立体的な
丸々とした瓢箪文金具で 鞘の蒔絵は扇文蒔絵となっています。
豪傑であった五ツ嶋奈良男関は 酒は一日に五升飲んだと云われ、
薫山先生が贈呈した御品は まさしくうってつけの名品であったものと思われます。
一つ一つの刀装金具は極美品であり、大小柄の中心に置かれた牡丹獅子文笄の極めて優れた高彫細工は
類を見ない程の名品であると思われます。

※五ツ嶋奈良男関来歴※

1912年12月22日に長崎県南松浦郡奈良尾村(現:長崎県南松浦郡新上五島町)で生まれる。
地元では漁師をしていたが、土地相撲では漁師で鍛え上げられた足腰を武器に大関を務めるなど、強豪力士として活躍した。
ある日、常ノ花寛市の引退興行が地元・長崎県に来た際に見出されて出羽海部屋へ入門、1930年5月場所で初土俵を踏んだ。
あまり出世は早く無かったが、広い肩幅と堅固な体格を武器に1936年5月場所において新入幕を果たすと
強い足腰と腕力で幕内上位で活躍した。相手に思い切り当たらせておいてから巻き落としで捻ったり、
豪快な下手捻りで強烈に相手を敗るなど、本場所では弱く稽古場では強かったことから「稽古場横綱」と称された。
それを裏付けるものとして、本場所では前田山英五郎に4連勝と得意としていたが、同輩の安藝ノ海節男に対してはほとんど歯が立たなかった。
1940年1月場所では双葉山定次に初勝利して11勝4敗の好成績を挙げ、翌場所は一気に関脇へ昇進した。
関脇としても双葉山定次を再び破り[1]、終盤まで安藝ノ海節男と優勝争いを繰り広げた。
この場所は13勝2敗の好成績で、場所後に安藝ノ海節男と共に大関昇進を果たした。
しかし、両膝の故障によって新大関となった1941年1月場所は途中休場となってしまう。
次の同年5月場所も膝の状態が思わしくないために終盤に6連敗を喫したうえ、
千秋楽には関脇・照國萬藏に敗れて7勝8敗と皆勤負け越しを記録、照國と入れ替わるように1942年1月場所では関脇に陥落した。
結果的に大関在位は僅か2場所で終わり、関脇に降格したその場所を全休し、そのまま廃業した。
廃業後は郷里へ戻って農業に従事したが、のちに再び上京して家具店、東京・新川で相撲料理店「みどり」やホテルを経営した。
1973年5月6日に死去、60歳没。
のちに横綱へ昇進する佐田の山晋松は、五島列島出身の五ツ嶋の活躍に憧れて角界入りを目指したことを、後年になって語っている。
現役時代から酒豪で、日本酒は1日5升は飲んでいたという。

寸法  全長:約16cm 鞘:約44.2cm 柄:約16.3cm 繋ぎ:約36.5cm