このオークションは成立しませんでした。
☆徳川家康九男 尾張徳川家初代藩主 徳川義直所用 名古屋城初入城鎧 名古屋城さくらまつり天守閣公開展示掲載宝物鎧☆
現在価格 | : | - |
---|---|---|
入札総数 | : | - |
現在の権利者 | : | - |
残り時間 | : | 入札終了 (詳細な残り時間) |
終了予定時刻 | : | 2020-10-29 21:53:00.0 |
開始価格 | : | - |
即決価格 | : | - |
(この金額で落札できます) | ||
落札下限価格 | : | - |
出品者からのお知らせ
特別重要刀剣合格「倫光」
伝兼光折紙付未鑑定品のご紹介
→保存特保同時合格「倫光」
→昨年重要合格→本年特重一回で合格です
3月度審査合格
「水心子正秀 天明二年二月日「」他
おめでとうございます。
特別重要刀剣合格「倫光」
伝兼光折紙付未鑑定品のご紹介
→保存特保同時合格「倫光」
→昨年重要合格→本年特重一回で合格です
3月度審査合格
「水心子正秀 天明二年二月日「」他
おめでとうございます。
- オークションID:WA00084442
- 出品者情報(fuji5005)
- 取引方法(支払い方法)
- 銀行振込確認後に商品発送
- ゆうちょ銀行
- 一般の引換便・ゆうぱっくなど
- その他購入者が負担する手数料
- 銀行振込確認後に商品発送の場合→振込手数料
- 送料
- 落札者負担
- 出品者情報
販売事業者 fuji5005 藤井 住所 787-0332
高知県 土佐清水市汐見町代表者名 22-10 ・ 通信販売業務責任者 藤井 幸美 電話番号 0880-82-3023 Eメールアドレス f-5000@cd.wakwak.com
(スマートフォンで御覧になる際の画像は説明文の後に掲載されます。)
※御刀詳細※
本鎧は徳川家康の九男である徳川義直が名古屋城に初めて入城された際に御着用された鎧とされています。
そして、本鎧が「名古屋城さくらまつり天守閣公開展」に於いて展示された初代藩主徳川義直公所縁所用の宝物鎧となっています。
徳川義直刃慶長5年11月28日(1601年1月2日)に徳川家康の九男として大坂城西の丸で産まれ、幼名を五郎太丸と称し
慶長8年(1603年)1月に五郎太丸は二歳にして甲斐二十五万石を拝領し甲府藩主となるも甲斐へ入国することなく、
家康や生母お亀の方と共に駿府城に在城し、家老の平岩親吉や徳川家の直臣旗本、武田遺臣らが
家臣とし家康の意向を受けて甲斐統治を行われ、慶長11年(1606年)数え六歳にして元服し、
翌慶長十二年(1607年)四月二十六日、兄の松平忠吉が死去し遺領を継いで尾張国清洲藩主になり、
家康は、要として重要な名古屋に、天下普請の名古屋城を築き根拠地を清洲から移して、
義直自身は家康死後の元和ニ年(1616年)満年齢十五歳に名古屋城に初入城されています。
故に本鎧の兜は大人が被っても余裕のある大きさであり、
庇には葵御紋、吹き返しには信長、秀吉の天下人が用いた桐紋を金蒔絵で顕し、
鍬形の中央の前立は密教に於ける最高仏である大日如来を示す梵字が顕されて藩主に正しく相応しく、
錣は三分別となり、全ては緋色威しで胴と袖にも葵御紋と桐紋金具が顕されて
威し絲も健全なままに遺された気品ある名品となっています。
太平の世となり、実戦に用いて御顔を遮る無様な面頬と御籠に脛当ては当初より不用とされており、
名古屋城さくらまつりのポスターには本鎧と同じ姿にて掲載される御品となっています。
※本来ならば名古屋に置き徳川美術館等の所蔵として末長く後世に伝えるべき御品であると存じます。
徳川御三家の中でも義直公は気骨のあった人物で柳生新陰流宗家四世となる武芸の達人でもあります。
《徳川義直公の片鱗》
家康の実子」としての自尊心が高く、また物事の筋目を重んじる堅物な性格であり、
たびたび甥の三代将軍徳川家光と衝突した。大権現の実子であることを看板とする義直は、
「生まれながらの将軍」であり祖父である家康を強烈に意識していたとされる家光には目の上の瘤であったとされる。
寛永11年(1634年)、家光が病床に伏した際、義直は大軍を率いて江戸に向かい、幕閣のみならず家光をも慌てさせた。
市中の混乱や外様大名の不穏な行動を封じるため、と銘打ったこの行動には諸説あり、
「御三家の尾張家当主として、当時継嗣のいなかった家光に万が一の事態が生じた際に幕府を護るという強い意志の現れであった。
義直は儒教を篤く信じており、この軍事行動は義に従っての行動であり、
自ら将軍職を引き受けるという考えはなかった。結果的に、以後も尾張家から将軍を出すことはなかった。
義直は愚直に尾張藩のあり方を示したが、それを幕閣は理解できなかった」とする説もある一方、
「御三家筆頭として自身の将軍職相続を確実にするために、武力をもって江戸を制圧することで、
武門の長たる将軍後継らしい態度と実力を示し、徳川家内外からの異論を挟ませないための行動」とする説もある。
寛永19年(1642年)に家光の長男・竹千代(のちの4代将軍徳川家綱)が
山王社にて初詣を行った際、御三家当主も供奉(同行)するよう幕閣より通達が出されたが、
義直は「無位無官の者に対して官位ある者が礼をすることは典礼に反する」としてこれを拒否した。
柳生利厳より新陰流剣術を学び、利厳より流儀を継承して新陰流第4世宗家となった。
※申し訳御座いません別途消費税(10%外税)と落札手数料(2.75%内)2.5%と送料のご負担をお願い致します。
※私共出品の御品には全て刀袋が付属しています。刀剣所持者変更はがき同封致します※
※登録証は各都道府県で、鑑定書付きの場合は日刀保で出品前に照合確認済みです御安心下さい。
※カード決済ご希望の場合はpaypal対応(お取引代金にカード手数料別途4%ご負担頂きます)
****************************************************************************
~御知らせ~
○こちらのコーナーでは刀剣類の換金目的委託代理出品を御手伝いさせて頂いております。
≪信頼と実績≫の当方に どうぞ御気軽にご相談下さいませ。≪誠心誠意で賜わります≫
○委託販売・研磨諸工作等について詳しくは御電話かこちらまで御連絡の程宜しく御願い致します。
※ 刀装用小道具の落込み桐箱のご注文 名品が名品として鑑賞される為には落込み桐箱が不可欠であり
ご所蔵品の保存に是非如何でしょうか。良心的価格 (鍔、目貫、縁頭、小柄)各4千円~、
特製桑縁箱8千円~ 納期約2週間前後となっています。ご遠慮なく御問合わせください。
*****************************************************************************
!注意事項!
●評価御入札が少ない場合や即決完売となった時 已む無く取下げさせて頂く事がありますので、
ご理解の上御早目の御入札を頂きます様お願い致します。
●当方の(出品時の不備、破損等)責任となる場合は修繕や返品対応を致します。
●御刀表面上ヒケや、研磨時修繕可能な範囲は疵欠点では無く状態説明に記載が無い場合も御座います。
状態詳細他何か御座いましたら御入札前に御質問、御問い合わせを頂きます様御願い致します。
●御落札後のキャンセルは非常に迷惑致します、御入札時十分ご注意頂き責任をもってご参加ください。
●評価不要御希望の場合 必ずお取引き都度 御申出下さい。(不要の時は 私共にも評価無しに)
●御落札品画像全消去のお申し出には、サイトシステム上不可の為対応出来ません、ご了承下さい。
●当方では優品名品美術品を多く扱いさせて頂いております。その他未鑑定現状品、居合・抜刀用、
研磨練習用、研究参考用等々 其々のニーズに対応出来る御品を同時に出品致しておりますので
お写真を良く御覧頂き、詳しい御方は御自身の御判断で、初心者様には当方所見状態説明を御参考に
して頂きまして 十分御検討の上、ご自身の御納得の責任ある御入札と御取引をお願い致します。
【商品説明追記】
*********************************************************************************
※新規会員の皆様に 0評価での悪戯入札等に迷惑しています。事前のご連絡を頂きご参加をお願い致します。
*********************************************************************************
※当方出品のオリジナル写真、説明文は無断転載.使用禁止となっています※
*********************************************************************************
尚、御覧の様な時代を経た意匠の良い鐙と大名家で人気を博した鶴足塗鞘短刀拵が付属しています。
※この度織田家、豊臣家、徳川将軍家所用の御品を所縁の旧家よりお預かりし、随時名品を御紹介させて頂くものとなっています。
※御刀詳細※
本鎧は徳川家康の九男である徳川義直が名古屋城に初めて入城された際に御着用された鎧とされています。
そして、本鎧が「名古屋城さくらまつり天守閣公開展」に於いて展示された初代藩主徳川義直公所縁所用の宝物鎧となっています。
徳川義直刃慶長5年11月28日(1601年1月2日)に徳川家康の九男として大坂城西の丸で産まれ、幼名を五郎太丸と称し
慶長8年(1603年)1月に五郎太丸は二歳にして甲斐二十五万石を拝領し甲府藩主となるも甲斐へ入国することなく、
家康や生母お亀の方と共に駿府城に在城し、家老の平岩親吉や徳川家の直臣旗本、武田遺臣らが
家臣とし家康の意向を受けて甲斐統治を行われ、慶長11年(1606年)数え六歳にして元服し、
翌慶長十二年(1607年)四月二十六日、兄の松平忠吉が死去し遺領を継いで尾張国清洲藩主になり、
家康は、要として重要な名古屋に、天下普請の名古屋城を築き根拠地を清洲から移して、
義直自身は家康死後の元和ニ年(1616年)満年齢十五歳に名古屋城に初入城されています。
故に本鎧の兜は大人が被っても余裕のある大きさであり、
庇には葵御紋、吹き返しには信長、秀吉の天下人が用いた桐紋を金蒔絵で顕し、
鍬形の中央の前立は密教に於ける最高仏である大日如来を示す梵字が顕されて藩主に正しく相応しく、
錣は三分別となり、全ては緋色威しで胴と袖にも葵御紋と桐紋金具が顕されて
威し絲も健全なままに遺された気品ある名品となっています。
太平の世となり、実戦に用いて御顔を遮る無様な面頬と御籠に脛当ては当初より不用とされており、
名古屋城さくらまつりのポスターには本鎧と同じ姿にて掲載される御品となっています。
※本来ならば名古屋に置き徳川美術館等の所蔵として末長く後世に伝えるべき御品であると存じます。
徳川御三家の中でも義直公は気骨のあった人物で柳生新陰流宗家四世となる武芸の達人でもあります。
《徳川義直公の片鱗》
家康の実子」としての自尊心が高く、また物事の筋目を重んじる堅物な性格であり、
たびたび甥の三代将軍徳川家光と衝突した。大権現の実子であることを看板とする義直は、
「生まれながらの将軍」であり祖父である家康を強烈に意識していたとされる家光には目の上の瘤であったとされる。
寛永11年(1634年)、家光が病床に伏した際、義直は大軍を率いて江戸に向かい、幕閣のみならず家光をも慌てさせた。
市中の混乱や外様大名の不穏な行動を封じるため、と銘打ったこの行動には諸説あり、
「御三家の尾張家当主として、当時継嗣のいなかった家光に万が一の事態が生じた際に幕府を護るという強い意志の現れであった。
義直は儒教を篤く信じており、この軍事行動は義に従っての行動であり、
自ら将軍職を引き受けるという考えはなかった。結果的に、以後も尾張家から将軍を出すことはなかった。
義直は愚直に尾張藩のあり方を示したが、それを幕閣は理解できなかった」とする説もある一方、
「御三家筆頭として自身の将軍職相続を確実にするために、武力をもって江戸を制圧することで、
武門の長たる将軍後継らしい態度と実力を示し、徳川家内外からの異論を挟ませないための行動」とする説もある。
寛永19年(1642年)に家光の長男・竹千代(のちの4代将軍徳川家綱)が
山王社にて初詣を行った際、御三家当主も供奉(同行)するよう幕閣より通達が出されたが、
義直は「無位無官の者に対して官位ある者が礼をすることは典礼に反する」としてこれを拒否した。
柳生利厳より新陰流剣術を学び、利厳より流儀を継承して新陰流第4世宗家となった。
※申し訳御座いません別途消費税(10%外税)と落札手数料(2.75%内)2.5%と送料のご負担をお願い致します。
※私共出品の御品には全て刀袋が付属しています。刀剣所持者変更はがき同封致します※
※登録証は各都道府県で、鑑定書付きの場合は日刀保で出品前に照合確認済みです御安心下さい。
****************************************************************************
~御知らせ~
○こちらのコーナーでは刀剣類の換金目的委託代理出品を御手伝いさせて頂いております。
≪信頼と実績≫の当方に どうぞ御気軽にご相談下さいませ。≪誠心誠意で賜わります≫
○委託販売・研磨諸工作等について詳しくは御電話かこちらまで御連絡の程宜しく御願い致します。
※ 刀装用小道具の落込み桐箱のご注文 名品が名品として鑑賞される為には落込み桐箱が不可欠であり
ご所蔵品の保存に是非如何でしょうか。良心的価格 (鍔、目貫、縁頭、小柄)各4千円~、
特製桑縁箱8千円~ 納期約2週間前後となっています。ご遠慮なく御問合わせください。
*****************************************************************************
!注意事項!
●評価御入札が少ない場合や即決完売となった時 已む無く取下げさせて頂く事がありますので、
ご理解の上御早目の御入札を頂きます様お願い致します。
●当方の(出品時の不備、破損等)責任となる場合は修繕や返品対応を致します。
●御刀表面上ヒケや、研磨時修繕可能な範囲は疵欠点では無く状態説明に記載が無い場合も御座います。
状態詳細他何か御座いましたら御入札前に御質問、御問い合わせを頂きます様御願い致します。
●御落札後のキャンセルは非常に迷惑致します、御入札時十分ご注意頂き責任をもってご参加ください。
●評価不要御希望の場合 必ずお取引き都度 御申出下さい。(不要の時は 私共にも評価無しに)
●御落札品画像全消去のお申し出には、サイトシステム上不可の為対応出来ません、ご了承下さい。
●当方では優品名品美術品を多く扱いさせて頂いております。その他未鑑定現状品、居合・抜刀用、
研磨練習用、研究参考用等々 其々のニーズに対応出来る御品を同時に出品致しておりますので
お写真を良く御覧頂き、詳しい御方は御自身の御判断で、初心者様には当方所見状態説明を御参考に
して頂きまして 十分御検討の上、ご自身の御納得の責任ある御入札と御取引をお願い致します。
【商品説明追記】
*********************************************************************************
※新規会員の皆様に 0評価での悪戯入札等に迷惑しています。事前のご連絡を頂きご参加をお願い致します。
*********************************************************************************
※当方出品のオリジナル写真、説明文は無断転載.使用禁止となっています※
*********************************************************************************
尚、御覧の様な時代を経た意匠の良い鐙と大名家で人気を博した鶴足塗鞘短刀拵が付属しています。
※この度織田家、豊臣家、徳川将軍家所用の御品を所縁の旧家よりお預かりし、随時名品を御紹介させて頂くものとなっています。